科学読み物選集©という考え方
『科学読み物』対話
読みたくなるような本を書く(つくる)ということ
読んで楽しかった、少しゆたかになった、と思える本とは、
本のマネジメント
Kさん
本を書く人の多くは
「本を買うお客さんが何を欲しがっているか」
「何を投げ入れると、受けとってくれるか」
「何を提供すると、不平不満がかえってくるか」
という実験もせずに、なお且つ
販路も人にゆだねていますよね。
書くだけ書いておいて、あとは
「売れないのは、運が悪い」
みたいな大ざっぱな感覚ですかね。
Aさん
作り手として責任を取っていない
ということに気付いていないと。
Kさん
本を書く人は、
「言いたいことを言いっぱなし」で
お客さんの反応だとか
そういうことをほとんど気にしていないですよね。
Aさん
商品と認識されることを拒否しているようなところが、
かなりあるんじゃないですか。
Kさん
本は文化を代表していると錯覚しているのかな。
だから、文化に対して、
「商業の世界の現実」と比較することすら
「文化への冒涜」だと思われてしまうのかもしれませんね。
とくに哲学関係、教育関係の本なんてその最たるものでしょ。
Aさん
お客さんがいて、サービスをして、
その対価としてお金をもらうわけですから、
そこには対話がないかぎり、
ほんとうは、商売として成り立たないですよね。
でも、「本という文化」からすると、
商業は低いものだから、軽視してもいいと
されてきたんでしょうかねエ。
Kさん
ほんとうは、一部のインテリだけじゃなくて、
みんなが読んだりしているものだから、
ぜんぜん、高尚にしなくてもいいのに。
Aさん
本って、最初は
お坊さんの間で作られたものですよね。
それと、そのまわりの宗教を司るひとたちの間で、
宝典として扱われてきた。
実際はお坊さんの間で大事にされるものとは
本のありようが変わってきているのに、
あいかわらずというか、あえて昔の感覚を引き継いでいる
ということですかね。
Kさん
それを一旦こわした段階というのが
『百科全書』運動の時代ですよね。
Aさん
書き手の側が変化を起こしたということですよね。
それって、
イギリスの百科事典が初っ端でしょ。
Kさん
イギリスの国内だけでなく、ヨーロッパ中の国に翻訳されて
売れに売れたんです。
それで、フランスでも作ろうよ、って話になって
出版者が編集者探しを始めたんです。
そしたら、そのうちのひとりが、
どうせやるならただの翻訳はいやだ。
まったくオリジナルな書下ろしをして編集をしたい、って。
Aさん
それじゃ、書き手も新たに探さなくちゃ。
Kさん
探し始めたはいいんだけれど・・・
Aさん
なかなか見つからない
Kさん
そう、なかなか見つからない。
でも、編集者のひとりが哲学者であり、有名な数学者だったもんだから・・・
Aさん
その関係がワッと集まったと。
Kさん
そうそう、ワッと集まった。
もうこれは、書き下ろしどころか、
喧々囂々というか、侃々諤々というか
Aさん
まったく議論にならない。
Kさん
議論にならないというより、圧倒的に足らない、
ということがわかったわけです。
Aさん
ネタとその専門家でしょう。
Kさん
もう、ありとあらゆるところから、国中からひっぱってきたわけです、
書き手を。もう「ムーブメント」ですよね。
Aさん
そもそも、本を出すのに、
印刷技術が発明されてから
あっという間ですよね
そのありようが変わったのが。
Kさん
書き手の質も大きく変わってますね。
そこから意識的に変えればよかったんだけれど。
Aさん
変わんなかった。
ブームが去ってもとの黙阿弥になっちゃった。
Kさん
ただ、時代のありようだけは変わったんですよ。
それがフランス大革命につながったんだから。
Aさん
でも、本を書く人の意識が高尚になっちゃって、
もとの黙阿弥ですか。
Kさん
なんせ、
本が売れりゃあ有名人ですからね。
昔も、今も。
Aさん
で、本を書く人は、
「言いたいことを言いっぱなし」で
販路も人にゆだねて、
書くだけ書いておいて、
あとは
「売れないのは、運が悪い」と。
Kさん
もういちど、「バカ売れした原因」を探ってみると、
いろいろわかるんですよね。
Aさん
二匹目のドジョウを追うってことでしょ。
Kさん
そう二匹目のドジョウを追う。
だって売れたってことは、需要があった、
そしてその需要にあわせて供給したってことでしょ。
Aさん
でも、一匹目のドジョウがいないと、
続かないよね。
Kさん
だから、一匹目のドジョウの振りをして入れてみる。
Aさん
フリをしてね。
Kさん
そして、買い手と対話ですよ。
それで、試みたのが
『科学読み物選集』
という出版物です。
これは、確実に売れましたね。
なんせ、「二匹目のドジョウ」ですから。
Aさん
ところで、
『科学読み物選集』
の中身はどうやってつくるんですか。
本つくりのマネジメント
Kさん
ある学習月刊誌に科学のコーナーを担当する話があって、
理科好きの先生の集まりに話があったんです。
そこで、
年一回、編集会議みたいなことをして、
原稿を入れる順番、担当する分野を
好き勝手いいながら決めたわけです。
Aさん
反応はどうだったんですか。
Kさん
月刊誌そのものの部数は
なかなか伸びなかったんですが、
科学のコーナーだけは
不思議と人気があったんです。
Aさん
ほかには、どんなコーナーが・・・
Kさん
学習誌ですから、
国語や算数なんかのコーナーと同居ですよね。
Aさん
そこで科学のコーナーだけが人気があったと。
ところで、なんで「科学」なんですか。
ふつう、
「理科」でしょ。
とくに学習誌なら。
Kさん
ふつう、「理科」でしょうねえ。
「お勉強」が目的なら。
でも、編集者がユニークな人で、
「楽しむこと」を目的にしたいと。
Aさん
楽しむことを目的にすると
「科学」になるんですか。
Kさん
科学の歴史は、
もともと
ふつうの人びとの好奇心が発端ですからね。
それを正直に伝えれば
楽しさを追求することになります。
そうなると、
「科学」と呼ばざるをえないでしょう。
Aさん
それで、その月刊誌は
どうなったんですか。
Kさん
残念ながら、
部数が伸び悩んで、
結局、廃刊になりました。
Aさん
科学のコーナーは人気があったのに・・・
Kさん
そう、
科学は人気がありましたね。
子どもたちの感想文なんかも
好評でしたからね。
とくに、「科学読み物」がおもしろかった
ようですね。
Aさん
廃刊になってからどうしたんですか。
Kさん
せっかく人気が出ているのにもったいないと。
それに、それまで書き下ろしてきた読み物も
放っておくのはもったいないと考えて、
その中のいくつかを選んで・・・
Aさん
編集のし直しですか。
Kさん
ここでまた侃々諤々ですよ。
でも、たのしかったですよ。
この議論の最中が。
Aさん
それで、
『科学読み物選集』
として出版したと。
売れたんですね。
なんせ、人気コーナーだったんだから。
Kさん
科学読み物の楽しさ、というのは、
ストーリーとしておもしろいだけでなく、
「わたしも書いてみようかな」
と思えてしまうところにあると思うんですよね。
たとえば、
エジソンの伝記では、
「成績が芳しくない子」が成長して大発明をした、様なことにふれていて、
誰でもが、いつか大発見、大発明するチャンスがあるかもしれない
と思えるようになっています。
そして、
大発見・大発明は無理かもしれないけれど、
そのプロセスを残せたらいいなあ、
だれかそれを読んで、たのしくなってくれたらいいなあ、
それ以上に、
それを書くことがなんとワクワクすることなんだろう、と思える。
たぶん、ここ に、科学読み物の楽しさがあるんだろうね。